コミュニケーションの〈心と技〉

良好なコミュニケーションを行うためには、〈心と技〉の両方が必要です。

どんなに〈心〉がこもっていても、〈技術〉がともなっていなければ、伝えたいことも伝わりません。うまく聴くこともできません。
どんなに〈技術〉を駆使しても、〈心〉が共鳴しなければ、コミュニケーションは成り立ちません。共感を得ることはできません。
それは、人間関係のコミュニケーションでも、組織のコミュニケーションでも、同じです。

良好な人間関係を築くためのコミュニケーション〈技術〉

相手のメッセージを受け取り、自分のメッセージを伝える‥‥。
コミュニケーションは人間生活の基本です。

人間誰しも、いつも誰かとコミュニケーションをしています。
ですから、「できて当たり前」と思っています。誰もがやっていることだし、誰にでもできるものだと。

しかし、「できる」としても、「うまくできる」とは限りません。
人間関係に何か問題が発生した場合、「原因の ”ほとんど” は、コミュニケーションにある」と言えるのではないでしょうか。家族関係、友人関係、恋愛関係、あるいは、職場での上司と部下の関係、経営者と社員の関係‥‥。

良好なコミュニケーションを行うためには、それなりの〈技術〉を身につける必要があります。「コツ」と言えるかもしれません。知っているのと知らないのでは、雲泥の差があります。円滑な社会生活を送るためにも必要です。
コミュニケーションの〈技術〉を身につければ、人間関係はずいぶん改善します。

しかし、コミュニケーション〈技術〉は、誰もきちんとは学んでいません。家庭でも、学校でも、職場でも、誰も習ったことはありません。誰も、私たちに教えてくれません。
それはまるで、泳ぎ方を知らないのに、突然海に放り込まれたようなものです。水を飲んだり溺れそうになったりしながら、少しずつコツをつかんでいくのが現実です。

〈技術〉とは違うかもしれませんが、かつては道徳や宗教が、人間関係における問題解決の一助になっていました。現代では「心理学」が、大きな役割を担っているのではないかと思います。
例えば、来談者中心療法のカール・ロジャーズ、ゲシュタルト療法のフレデリック・パールズなどの人間性心理学、個人心理学のアルフレッド・アドラーなどです。

コミュニケーションは〈心〉と〈心〉の共鳴

しかし、コミュニケーションは、〈技術〉だけでは不十分です。
もう一つの大切なもの--それは、コミュニケーションの〈心〉です。

コミュニケーションの〈心〉とは、一つは「どんな気持ちで伝えるか」ということです。
例えば、「感謝の気持で」とか「相手のことを理解したい」といったものもあれば、逆に「威圧して説得しよう」とか「脅威でコントロールしよう」といったものもあります。

もう一つは、コミュニケーションする相手に「どんな気持ちを持ってもらいたいか」ということです。心地よくなってもらいたいのか、元気ハツラツになってほしいのか、ホッとしてもらいたいのか‥‥。逆に、怒らせたいのか、恐がらせたいのか‥‥。

コミュニケーションは、心と心のふれあい -- 心と心の共鳴をベースにして、言葉や態度などを使った〈技術〉で表現されるものです。

威圧して説得したいと思っていれば、どんなにテクニックを駆使しても、相手を怒らせてしまいます。たとえ服従したとしても怒りは燻ります。
逆に、相手の気持ちに寄り添いたいと思っていれば、多少口下手でも、相手は聴く耳を持ってくれます。理解しようと努力してくれます。

〈心〉を忘れたコミュニケーションとは?

企業や団体などが組織として行うコミュニケーション活動にも、同じことが言えます。
〈心と技〉の両方が大切です。

組織コミュニケーションの〈技術〉については、コーポレートコミュニケーションやマーケティングコミュニケーション、ブランディングなど、さまざまなノウハウやセオリーがあります。広告代理店やPR会社では、それらをメソッド化したりツール化して提供しています。
企業には、宣伝部や広報部、IR部など、コミュニケーションの専門技術をもった部門があります。

では、〈心〉については、どうでしょうか。

個人的な体験ですが、さまざまな企業のコミュニケーションに関わるなかで、「技術に走りすぎて、心を忘れているのではないか?」と思われるような場面に、何度か遭遇したことがあります。
コミュニケーションの相手が、「心を持った人間」であることを忘れているのではないか、と思えてしまうのです。

例えば、顧客を「不安」にさせたり「恐怖心」を煽ったり、あるいは「焦らせたり」して、不必要なものまで「買わせて」しまう。
「興味を抱かせる」「衝動を起こさせる」「買わせる」‥‥感情のコントロール。一歩間違えばマインドコントロールや詐欺になってしまいます。

誰しも、「あれっ? なんか変だぞ?」と疑うような、セールスレターやチラシ、広告、ダイレクトメール、Emailなどを、目にしたことがあるのではないでしょうか。

「○○をお買い上げの方には、さらに□□がお薦め」(要らないものまで買ってしまった!)
「みんな使っていますよ」(私も買わなきゃ!‥‥ん? みんなって誰と誰?)
「今しか買えません」「限定○○名様」「本日限り」
「これだけ買えば○○ポイントが貯まる」‥‥

「無駄遣いしてしまった」「騙された」‥‥でも「そのうち必要なときが来るに違いない」「安かったんだから買って正解だよ」と自分に言い訳をして納得する。

エモーショナル(感情)マーケティングでは、
「顧客は “買う理由” を、”買う前” に考えるのではなく、”買った後” の言い訳として考える」
と認識されています。
「買いたい気持ちにさせればいい」という考え方です。

自己責任といえばそうでしょうし、騙されるほうもよくないとか、最初から買わなきゃいいのに、とも思います。
確かにそうです。しかし、やはり、コミュニケーションを意図する側が、いたずらに顧客の感情を煽るのは良くない、と私は思います。
人間は「感情の動物」といわれています。理性とは関係ないところで感情的に行動してしまいがちです。しかし、だからといって “パブロフの犬” の実験ように、“刺激と反応” を弄ぶのは良いことではない。私はそう思います。

「感情マーケティング」は「禁断のマーケティング」であると、そう思っています。

しかし、たとえ〈心〉がこもっていなくても、〈技術〉を駆使すれば、成果は上がります。
即効性があります。
言葉は悪いのですが、感情マーケティングは、麻薬のようなものです。
効果は長続きしません。短期的です。
そこで、手を替え品を替えて、さまざまな技術を使いまわすことになります。

そして、いつかは破綻するのです。
決して続きません。

コミュニケーションを企画する人の「良心」と、陥りやすい「罠」

結局--コミュニケーションを企画する人間の「良心」の問題になってきます。

例えば、企画会議の席などで議論が白熱してくると、言葉遣いが変わり始めることがあります。

「どうしたら、商品の特徴を正確に伝えることができるだろうか?」「よい商品だと思わせるには、どうすべきか?」
「どうしたら、安心感を抱いてくれるだろうか?」「安心感を植え付けるためには、どうすべきか?」
「どうすれば、わざわざお店に足を運んでいただけるだろうか?」「矢も盾もたまらず店に走らせるためには、どうすべきか?」
「どうすれば、必要な人に必要だと思ってもらえるだろうか?」「見た人の欲求を高めるためには、どうすべきか?」

企画する人間は、一所懸命に考えています。しかし、一所懸命に考えれば考えるほど、人を人として扱うことから、外れていってしまいがちなのです。

そして、自分たちが企図したように顧客が動けば、「成功」です。
「やった!やった!」と。
ますます加熱していきます。

「理解していただいた」「買っていただいた」から、
「理解させた」「買わせた」に変わってしまう。

それが--コミュニケーションを企画する人の陥りがちな--「罠」です。

理想論かもしれませんが‥‥

「“良心” に従って企画する!」というのは、理想論かもしれません。

「そんな甘っちょろいこと言っていると、競争に負けるぞ!」
「とにかく売らなきゃダメなんだ! 買わせなきゃダメなんだ!」

しかし、個人的には、これからも、これまで述べてきたような問題意識を持って、コミュニケーションの仕事に携わっていきます。
これからもこのスタンスは変わりません。